【未解決事件】松岡伸矢くん行方不明事件

未解決事件
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事件概要

1989年3月7日、徳島県美馬郡貞光町(現・つるぎ町)の親戚宅に家族で訪れていた当時4歳の松岡伸矢くんが、20~40秒の間に玄関先から忽然と姿を消した事件です。

2025年現在、36年以上が経過していますが伸矢くんの行方はわからず、未解決となっています。

事件の経緯

事件当日の状況

茨城県牛久市在住の松岡一家(父・正伸さん、母・圭子さん、長女、伸矢くん、次男)は、母方の祖母の葬儀のため3月6日に徳島県小松島市で葬儀に参列後、翌7日に親戚宅へ移動し宿泊。正伸さんは翌朝、親戚の子どもたちも含め散歩に出かけました。朝食の準備ができる時間に親戚宅に戻ったところ、まだ伸矢くんが散歩をしたそうだったために伸矢くんのみを玄関先に残し、抱っこしていた次男を家の大人に引き渡しすぐに戻ったところ、伸矢くんの姿がありませんでした。前述の通り、その間20秒~40秒と言われています。

捜索の状況

徳島県警は大規模な捜索を実施しましたが、遺体や遺留品は一切発見されておりません。周辺住民への聞き込みや不審車両の調査も行われましたが、手がかりは得られませんでした。事件は迷宮入りとなり、未解決のまま現在に至っています。

寄せられた情報

有力な目撃情報はありませんが、似た子を見たという情報はいくつか寄せられています。

・1989年5月
徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で伸矢君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃したという情報もあった。目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。

・1990年4月 徳島の主婦
「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」
この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので……」と言った。その後、手がかりなし。

・1990年
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。

・1991年
「四国霊場88ヶ所の第21番目の太龍寺で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。

・1995年 北海道の倶知安町に住む老人
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
これも決め手にはならなかった。

・1997年OL
「横浜の地下鉄で見た」
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、伸矢くんに似ていた」と言い、少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。
心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。

・1998年 中国地方にあるレンタルビデオ店店員
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。その後の手がかりはなし。

残念ながら、これらの情報から捜査状況が進展したということは今のところありません。

注目された出来事

目撃情報とは別に、注目された出来事もありました。こちらも解決に繋がる情報とはなっていません。

怪電話

失踪後、「ナカハラマリコの母」と名乗る女性から徳島の家に電話があり、長女の幼稚園の同級生の母とのことだった。電話の主旨は「見舞金を集めたがいつ茨城へ帰ってくるのか」というものだった。
茨城へ戻ったあと、幼稚園に電話のことを尋ねたが見舞金を集めたということはなく、ナカハラマリコという児童も所属していなかった。
電話口の女性は徳島訛りだったという。事件に関係があるのか、イタズラなのかは不明。

似た人物の発見

2018年の公開捜査番組で、記憶喪失の男性が紹介され、大人になった伸矢くんに似ているのではと騒ぎになった。
最終的にはDNA鑑定まで実施し、別人だと判明している。
伸矢くんのお父さんは「直感的に違うと思った」とコメントしている。

考察

事件の特徴

  • 短時間の失踪:20~40秒という極めて短い時間での消失。
  • 証拠の欠如:遺体、遺留品、目撃情報が一切なく、「神隠し」とも称される。
  • 状況の特殊性:親戚宅の玄関先、葬儀後の親族が集まる環境での事件。
  • 不審な連絡:怪電話や断片的な目撃情報の存在が事件の謎を深める。

主な犯人説

  • 誘拐説:短時間での失踪から、計画的な誘拐が有力。葬儀参列者や不審者の関与が疑われるが、動機や手口は不明。怪電話が犯人による撹乱の可能性も。
  • 北朝鮮拉致説:1980年代の拉致事件多発を背景に、特定失踪者問題調査会が伸矢くんをリストに掲載。ただし、4歳児が対象となる動機が不明。
  • 身内関与説:葬儀という限られた環境から身内を疑う声もあるが、家族の積極的な捜索協力や証拠の欠如から可能性は低い。

その他の考察

  • 事故・遭難説:周辺の森に迷い込むことがあれば事故の可能性もあるが、短時間での移動や痕跡の欠如から現実的でない。
  • 超常現象説:証拠のなさから「神隠し」とも呼ばれるが、科学的根拠はなく推測の域。

結論

松岡伸矢くん行方不明事件は、短時間での失踪と証拠の完全な欠如により、未解決事件の中でも特に不可解なケースであると言えます。
世論としては誘拐説が最も有力かと思いますが、動機や手口が不明で、北朝鮮拉致や身内関与の可能性も証拠不足で推測の域を出ません。
怪電話やいくつかの目撃情報によって謎はさらに深くなり、真相には繋がっていません。
事件から36年以上経過し、伸矢くんが生存していれば現在40歳前後となっています。解決には新たな情報提供が鍵であり、徳島県警や特定失踪者問題調査会(03-5684-5058)への情報提供が求められています。

様々な説を紹介しましたが、私としては遭難説が有力なのではと考えています。
本文内では「現実的ではない」としましたが、消去法で他の説を潰していくと残るのは遭難説が最有力かと思います。もちろん事件発生後に山狩りなどしっかりと捜索をしているはずですが、考えもしない場所に入り込み、見つけられずにいる可能性は否定できないと思います。遭難説には、猛禽類などの連れ去りもありますが、それには痕跡があまりにもなさすぎるという点からも、好奇心から自発的に森の中に入り帰れなくなったということが一番有力なのではと考えます。
安否という面では絶望的な説ではありますが、少しでも早く見つけてあげて欲しいと願います。

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